人間は無知であることによってしか叡智的であることができない - 本のメモ - 女は何を欲望するか?
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2008/03
- メディア: 新書
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フェミニズムとして「男女共同参画社会」という土台を考えたとき、
これは社会への参画というしごくニッチな領域において「男女は同一のニッチに属する」という無言の了解となっていることにお気づきだろうか。
つまり、男女は「同一のニッチに属し、資源に対して同一の欲望を持つ」という考え方になる。
しかし本当にそのようなものを人間誰もが欲しがっているのだろうか。
価値観はバラけている方が良い。
というのが筆者の持論である。
もしこれを無視して、「男女共同参画社会」によって「能力主義」の主張が正しいとなれば、
能力のあるものが取れるだけのものを取り、能力のないものは自己責任によって飢える。
そのような「究極の競争社会」が「男女共同参画社会」の実相なのである。
と。
したがって著者は、「社会的能力の差は性差に優先することに同意しない。
性差・性秩序は維持されるべきものであり、それはできるだけ他人が欲望するものとは違うものを欲望することが人類学的に必須である、とする。
最後に筆者のちゃめっけが感じられる引用をひとつ。
「欲望のありかを示す能力」を「叡智」と呼ぶならば、私たちはこのことから重要な命題を引き出すことができる。それは、人間は無知であることによってしか叡智的であることができないということである。