不注意な人々

今日は文化の日である。

研究室はお休みで、今日は基本的に家で過ごす、予定だった。

しかし、やはり家でひとりというのは予想以上に寂しい。

そこで都内カフェへ外出することを考えたのだが、
そもそも今日は英会話レッスンがあった。
渋谷など遠出することはかなわない。

仕方なく、青葉台駅近くに新しくできた上島珈琲店に行ってみた。
(本当は青葉台など、ホームタウン周辺のカフェはなるべく行きたくないのだ。なぜかって? 自分と同世代の人がほとんどおらず、年配の人ばかりで、むしろ寂しくなるし、そもそもそんな空気の中やる気になることは難しい。)

予想していたとおり、カフェは親子や年配夫婦などの’買い物帰りの一休み客’でごった返している。
家庭臭がきつい。
イヤホンをかっちり装着し、CF-W7を開きプログラミングを始める。

しばらくすると、隣の席に親子がやってきた。
どうやら買い物帰りらしい。
’オカンと娘’パターンである。
オカンの年齢は50代、娘は20前後か。

オカン「あら、いいじゃない。こりゃ人気がでるわけだわ」

娘「そうだね」

オカン「でもあすこにあるたばこの席、いらないわよね(距離的に非常に近いのに明らかに首で指し示しながら)」
  「あんなものなくしちゃえばいいのにね」
  「神奈川の条例で決められてなかったっけ?なんかよくわからないけれど、私。」

娘「・・・」

・・・こういう会話を聞きたくなかったのだ。

喫煙席は隔離されていて、煙は一切きていないわけで、
喫煙者はオカンになにもしていないわけである。

しかし、オカンは喫煙者に対し、明らかに精神的暴力を投げかけている。

やっぱりこういう不注意な発言をしてしまう人のいないカフェに行きたいなあ、
などと思ったりした文化の日明治天皇の誕生日らしい)でした。


人々は自分たちが理解しないことを軽蔑する アーサー・コナン・ドイル

偏見というのは一般愚民の王である ヴォルテール